きうちかずみ
自己紹介
生きるカラダに感動するヒト。ヲシテ文字(縄文カレンダー)が好き。
富士山麓生まれ、短大~20代は東京暮らし。一般企業→派遣社員で勤めつつ夜間専門学校(3年)に通い、1995年(阪神淡路大震災とオウムサリンの年)鍼灸あマ指資格を取得。
保険適応鍼灸接骨院勤めの約2年はお正月休みも温泉マッサージバイトに行き、目に見え触ればわかる【筋骨好き】始まりの頃でした。
初の妊娠中に埼玉県へ引越し、陣痛~出産の身体体験に深く感動します。出産後の乳腺炎に始まる母乳育児→食育→性教育と、知りたい事だらけの子育ての中で、助産師さんには大変お世話になりました。
子育て当事者としてサークル(地域de子育て応援サークル:Vanillaバニラ)運営。月2回、企画ごとに入れ替わる数組の親子と一緒に過ごす中、ファシリテーションの奥深さを知ります。
「お母さん業」は「今の自分の仕事」と感じながら、日本的ACという概念に出会います。
通信教育でセルフカウンセリングを学びつつ、「お母さん業」=「家事育児地域活動」で、それを「仕事」と感じてきた自分は時代とズレてるのかも?・・と変化しつつ、今も変わらず、子どもの安心/健康/快適のキーパーソンは「お母さん」で、親子を支える「子育て支援」はライフワークと感じています。
サークルで、初めて公民館との共催で企画したのは「専業主婦のプロになろう!」という3回連続講座でした。
専業/兼業/主婦という言葉に時代を感じますが・・・「お母さん」が義務感や不満や様々な不安に流されず、役目としての自分の働きに自信を持つ「プロ」であってほしいという思いのタイトルと構成でした。
普段の活動は、メンバーの「やりたい」声から企画を立て、講師をお呼びするものでしたが、月2回のうち1回は座学や手仕事、1回は必ず「身体を動かす」企画を譲らなかったのは、身体がほぐれる=心からの笑顔が出る=治療と一緒、と今ではわかります。
そんな中、運動をしては現れる自分の腰の痛みが、すっかり忘れていた中学生の時の足の骨折と関係する事に気付き、記憶(アタマ)から消えている歴史も黙って引き受けているカラダの健気さに改めて深く感動します。
呼吸法が中心のラージャヨーガ(瞑想)を継続しながら、3人分のPTA/自治会などのボランティア活動と、毎日のご飯作り(カラダ育ての基本)にバタバタと過ごすうちに、「子育て」の世界に、HSP(HSC)という言葉が登場します。あれ?10年で流行り?時代?生き辛さの表現て変わるの?・・と感じ、???と立ち止まります。
人体の仕組みは何万年も大して変わらず、生まれた子も10年じゃまだ小学生なのに・・育てる人の辛さや違和感に対する言葉は移り変わり、「育児法」みたいなものも変わっていくの??流行りなの???
「フツーの母親」の自分と「遠い世界と思っていた社会問題/政治」が、地続き紙一重・・と腑に落ちた30代は【育自】始まりの頃でした。
2006年に鍼灸師の子育て支援団体:東京スキンタッチ会と出会った事が、サークル活動と並行して出張専門で開業するきっかけになったのは、感謝しかありません。現在も「産む性を尊敬する【産後ケア】/子は宝の【子育て支援】は必須」と変わらぬ想いで施術をしています。
必要と思う事を仕事に・・と言いつつ、心は充実しているつもりでも身体のサインに軌道を修正したり^^;。ここ数年は、鍼灸と音叉療法の相性の良さに感動しています。
ここまで読んで下さった、出会いのご縁に感謝しつつ、お会いできる日を楽しみにしています。
2023.9 更新
平成7(1995)年4月14日 鍼灸あマ指師登録
Special Thanks
・長野式勉強会 ・キネステティク・クラシックNEO版
東京スキンタッチ会以外に関わる子育て支援
⇒親子ひろば「なかがわっこ」(2006.2~毎月最終木曜日)
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