きうちかずみ
自己紹介

生きるカラダに感動し、鍼灸と音叉療法の相性の良さを実感する50代です。
富士山麓に生まれ、短大~10年間東京に。一般企業→派遣社員で勤めつつ夜学に通い、阪神淡路大震災とオウムサリンの年に鍼灸あマ指資格を取得。保険適応鍼灸接骨院勤めの約2年はお正月休みも温泉マッサージに行っていた20代は【筋骨好き】始まりの頃でした。
初の妊娠中に埼玉へ引越し。陣痛~出産体験に深く感動したものの、会陰切開と発熱(乳腺炎)に始まるズタボロの産後から母乳育児→体を作る食育→知識が身を守る性教育・・と、目から鱗がポロポロ落ちる子育ての中、助産師さんには大変お世話になりました。
そんな頃、古本屋で立ち読みした本でAC:アダルトチルドレンという言葉に出会います。(日本的ACという概念を得て卒業しました。)
子育て当事者としてサークル(地域de子育て応援サークル:Vanillaバニラ)運営をする中、月2回、企画ごとに入れ替わる大勢の親子と一緒に過ごしながらファシリテーションの奥深さを学びます。
「お母さん業」が「今の自分の仕事」と理解しながら、言葉にならない「モヤモヤ」や「アルアルだけで晴れない気持ち」も感じ、サークル運営者として初めて行政(生涯学習課)と共催したのは「専業主婦のプロになろう!」という3回連続講座でした。
専業/兼業/主婦という言葉が既に死語?ですが、「『お母さん』してるあなたは、誰も代わりのきかない自分のシゴトをしてるプロなんだよ~」「幸せな仕事のハズなのに、もし辛く?感じるなら、それはあなたのせいでも子どものせいでもないし、学んで変わるの楽しいよ~」「親子とも生きてるだけでスゴイんだから!笑って過ごしたいよね~」・・・という思いのタイトルと構成でした。
「フツーの母親」の自分と「遠い世界と思っていた社会問題/政治」が、地続き紙一重・・と腑に落ちた30代は【育自】始まりの頃でした。
通信教育でセルフカウンセリングを学びながら、「お母さん業」=「家事育児地域活動」=それを「仕事」と感じてきた自分が古臭い?・・と気付きつつ、今もやっぱり子どもの安心/健康/快適のキーパーソンは「お母さん」であり、そこに「支援」が行き届いていないのが気になるので、【子育て支援活動】はライフワークなのかも知れません。
市民活動から出会った方々にも感謝しかありません。
そのサークル活動(月2回)のうち1回は必ず「身体を動かす」企画を譲らなかったのは、ママ達の身体が緩むと心からの笑顔が出る=治療と一緒、と今では明確にわかるし、当時「カラダを動かす」40代の自分に時々現れる腰の痛みが、ほぼ忘れていた中学時代の骨折と関係する事にも気付き、記憶(アタマ)から消えている歴史も黙って引き受け生きるカラダの健気さに改めて感動しています。
カラダってスゴイ!
2006年に鍼灸師の子育て支援団体:東京スキンタッチ会と出会った事も、サークル活動と並行して出張専門で開業し、私を治療施術の世界に戻してくれたきっかけで、感謝しかありません。
呼吸法が中心の瞑想ヨーガを継続しながら子育て期を過ごすうち、HSP(HSC)という言葉が日本に登場した頃に、あれ?私が出会った日本的ACと似てるのでは?と感じながら、時代?流行り???と混乱します。
直立二足歩行のカラダの仕組みも、脳の働きも何万年も大して変わらないヒトという生き物を育てているのに・・・生まれた子も10年じゃまだ小学4年生にしかなっていないのに・・・育てる人の大変さ?や生き辛さ?はママ同士通じ合わなくなっちゃうの???・・と不思議な気持ちになったのを覚えています。
子育て支援もカラダの専門家としての役目に変わりつつあり、今できる事を無理せずケチせず・・と働いているつもりですが・・・まだいろいろ半ばです(当たり前か)。
ここ数年は、ヲシテ文字(縄文カレンダー)と13の月の暦を愛用していて、私が今ここにいる役割は・・と思いつつ、施術だったり活動だったり?をしています。
ここまで読んで下さった方とのご縁に感謝しつつ、直接お会いできる日を楽しみにしております。
2025.3 更新
平成7(1995)年4月14日 鍼灸あマ指師登録
・日本栄養精神医学研究会会員
Special Thanks
・長野式勉強会 ・キネステティク・クラシックNEO版
東京スキンタッチ会以外に関わる子育て支援
⇒親子ひろば「なかがわっこ」(2006.2~毎月最終木曜日)
その他の賛助会員